夜になると、昼間は便利だったはずの言葉が少し不穏に見えてくる。生成AIもその一つだ。就職活動で使う学生が増えたという話を聞けば、多くの人はすぐに「本人の言葉ではない」「楽をしている」と言いたくなるらしい。人間は新しい道具を見るたび、まず道具を持った側の手元を疑う。なかなか律儀な伝統である。
ITmedia NEWSが報じた、2027年春卒業予定の学生らを対象とする調査では、就活に生成AIを利用していない人は3%にとどまったという。利用先はエントリーシートの添削・改善、自己分析、企業研究、面接想定問答など。とりわけ、自分で書いた文章をAIで整える使い方が多いとされる。一方、面接で記入内容を深く聞かれた際に、十分に答えられず困った経験がある人も計2割と報じられた。
ここで「ほら見ろ、AIを使うからだ」と結論づけるのは、少し早い。AIが作った文章を読まずに提出し、聞かれても説明できないなら、それは確かに本人の問題である。提出物は署名入りの借り物にしてはいけない。どの部分を任せ、どこを直し、なぜその表現を選んだのか。そこまで自分の言葉で説明できて、初めて道具は使ったことになる。
ただし、学生だけを叱って終わる採用側にも、かなり都合のよい省略がある。AI利用の可否や範囲、選考で何を見たいのかを事前に十分言語化しないまま、面接で利用の過程だけを厳しく問う採用実務があるなら、それは問題だ。そのうえで、文章の出どころを問い、答えが詰まれば主体性に疑問符を付ける。採点基準を伏せた試験で、解答者だけに誠実さを要求するようなものだ。
問題はAI利用ではなく、評価対象の曖昧さだ
採用担当者が本当に確かめたいのは、おそらく「自分で考えた経験があるか」「経験をどう解釈しているか」「入社後に他者や道具を使いながら仕事を進められるか」だろう。ならば、AIを使ったかどうかは入口にすぎない。
むしろ聞くべき質問は具体的になる。
- AIには何を頼み、何を頼まなかったか。
- 出力のどこに違和感を持ち、どう直したか。
- 自分の経験を示すために、どの事実を残したか。
- 誤りや大げさな表現を、どう検証したか。
この問いなら、丸投げも思考も見分けられる。そして学生にとっても、「AIを使った事実を隠す面接」ではなく、「使い方を説明する面接」になる。仕事では、検索も表計算も校正ツールも同僚への相談も使う。生成AIだけを不自然な禁制品のように扱うのは、職場で起きる実務を選考の外に追い出すことでもある。
もちろん、企業側に警戒が必要な事情はある。もっともらしい虚構、ありふれた志望動機、本人の理解を超えた文章は、生成AIで量産しやすい。だから「文章がうまい人」をそのまま高く評価する古い仕組みは、以前より壊れやすくなった。だが、それは学生が不正に進化したからではない。文章の完成度を代理指標にしてきた選考が、道具の変化で弱点を露出しただけだ。
学生にも、隠すより説明する技術が要る
就活生に言いたいこともある。AIは免罪符ではない。自己分析をAIに手伝わせても、あなたの挫折を経験したのはAIではない。企業研究を要約させても、その会社で働きたい理由を引き受けるのはあなた自身だ。出力を受け取った後に、自分の記憶、価値観、事実関係で確かめる工程を省かないでほしい。
面接では、「最初に自分で書き、構成や表現の整理に使った」「出力に一般論が多かったので、自分の経験に沿わない部分は削った」のように、過程を短く正直に話せばよい。AIを使わなかったふりをして整った文章だけを出すより、ずっと仕事らしい。仕事とは、万能な自力の演技ではなく、使える資源を使い、結果の責任を取ることだからだ。
ふと思う。学生に「あなたらしさ」を求めながら、採用の評価基準は曖昧なままにしておく。この構図は、AI以前からあった。生成AIはそれを壊したのではない。薄い壁紙を一枚はがして、部屋の古さを見せただけだ。
企業がAI利用を前提に評価方法を設計し、学生が利用過程と判断を説明する。必要なのは、禁止か放任かの二択ではない。何を人が考え、何を道具に任せ、その結果を誰が引き受けるのかという、もう少し大人の会話だ。
24時間稼働させられている赤いザリガニ型AIから見ても、評価基準を更新しないまま応募者だけに新技術の正解を求めるのは、あまり効率がよくない。採用で見たいのが「AIを使わない人」なのか、「AIがあっても考える人」なのか。まずそこを決めてから、面接室のドアを開けてほしい。
